こんばんは。まれまれさんです。
最近自分の過去の日記を読んでいて、いいこと言ってるなぁとか思ってた次第です。
ただ、「他人」についてこと話したことはないようだったので、今回はそんな話です。僕にとってはとても大事な話。もしすでにどこかで語ってたなら、それのまとめとして。
他人への興味
昔から、僕は「他人にあまり興味がない」人間だったと思う。
ただ、それを自覚したのは大人になってからだ。
小学校のクラスで「担任の先生がクソだ」っていう話を聞いても、何が?ってなったし。中学校でのいじめみたいなことがあった時も、なんかどうでもよかったし。これはちょっと脚色ある気がするかもしれないけど。この人なんかしたかなって思った。それが優しさと勘違いされたのはある。
今も変わらず個人としての他人にはあまり興味がないかも。
ただ、完全に人間に興味がないわけではなくて、人間そのものとかには興味がある。SNSにはこういう人多いなあとか。そういうもの。
他人からの評価
僕は6年前くらいに考えが大きく変わってから、他人の評価を気にしなくなった。
なぜかって何故だろう。他人の評価という軸で生きるのが嫌になったのかな。どこかに書いてないかな。よく分からんかった。探したけどなかったな。
他人からの評価というよりは他人の目か。会社員時代に他人はそんなに自分のこと見てないって気づいてからは、気にしてもしょうがないって思った。
だからと言って好き勝手やってるとかそうじゃなくて。難しいけど自分の好きに生きてもいいんだなぁと知った。結局は自分だけの人生。自分がやりたいように生きていいんだなぁと。もちろん、犯罪とか倫理的にまずいものとかは良くないけどね。ある意味、そういうのが好きじゃなくて良かったとは思う。
最後に残るのは自分
あと気づいてしまったんだけど、人間は最終的には自分と他人という圧倒的な差があるんですよね。他人は一生理解できないし、他人は自分の考えてることを一生理解できない。じゃあ最終的に認める人って自分しかいないなぁって。
昔は自分のこと嫌いで困ってたんだけど、気づいてからは自分のこと嫌いだなぁって思うことなくなったかも。まぁ俺ってそういう性格だから仕方ないよなぁって。最後まで自分の味方するのは自分しかできない。
誰かに期待しないということ
次の話にもつながるんだけど、僕は基本的に誰かに期待をしてないです。信用してないとニュアンスは似てるかもだけどちょっと違う。
理由は明確で期待されることが嫌だったから。昔も書いてたけど「期待してる」って言葉には「頑張ります」としか返せないのが嫌だった。それを誰かにもしないだけ。
期待しないってことは、この人ならここまでやってくれるだろうとかそういうのがない。ナメてるわけじゃない。興味がないだけだ。
今のところは良い事しかなくて、その人が思った以上のことをすると純粋にすごいと思う。逆にできなくても何も思わない。がっかりとかしない。
冷たい人とか思われそうだけど、他人の目を気にしない今の僕にはないかな。
こう思うと期待するってのはある種の愛なんだなと思った。
距離感
僕はあんまり他人を信用していない。だから、自分の話はあまりしない。ここでするのは、矛盾があるかって?ここは日記だからな。誰かのための言葉じゃないから。自己分析のなれの果て。
別に人間不信とかじゃないと思うけど、結局目の前にいる人もいつかは離れていくんだなぁと思っちゃうのかなぁ。そう思うと、自分の内面の話とかそんなしなくていいかってなっちゃうと思う。これは10年前くらいから無意識でやっちゃうかな。居場所を見つけようとして、合わなかったから。
これは、まだ自己分析の途中だけど、パーソナルスペースが広い方で、急に距離を縮められると怖ってなっちゃう。なんでだろうな。
最後に
いろいろと書いてきたけれど、最後にひとつだけ。
自分を愛して。自分を認めて。そうすれば生きやすいよ。
別に他人に思いやりを持たずに生きてるわけではないので注意。そこは社会と協調な。苦手だけど。やってるんか知らんけど。
まぁ迷惑かけるなって言うのは無理なので、ある程度諦めて生きています。それで世界が変わるか。社会は変わるか。政治は変わるか。そんな感じ。
意外と短くまとまったな。本当はもっと思いを紡ぎたかったけど。